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| 海外登山史上最悪の遭難から15年。 「聖山とはなにか」という答えを梅里雪山とともに暮らす チベット人たちの営みに見つける。 『梅里雪山 十七人の友を探して』小林尚礼 山と溪谷社 304P 2,415円(税込) |
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新年は当然、毎年のようにやってくる。そして、悪夢のようなあの時の記憶が同時によみがえる。あの時以来、新年は私にとっては、ちっともおめでたくないものとなってしまった。 98年の年末から年始にかけて、私は山岳部の後輩たちとともに、北アルプス・鹿島槍ヶ岳へと向かった。当時私は、OBとして、現役学生の指導にあたっていた。しかし、そこで最悪の遭難事故が起きる。忘れもしない1月3日、自分が同行しながら、一人が転落し行方不明となり、さらにもう一人が疲労凍死するという、まさに悪夢のような結末となってしまった。けれどもまだ悪夢は終わらない。行方不明となった学生の捜索がそれから半年にわたって続く。そうして遺体を発見したのは6月末、まだ雪が分厚く残るの雪渓の中から、変わり果てた彼の亡骸を収容したのだった。 あれから時は経ち、2人の学生を死亡させてしまった事実からは逃れようもなく、私はいまだに呵責に耐え、重い十字架を背負い続けている……。 そんな自分の経験とは比べようもないのだが、あの辛く悲しい遺体の捜索活動を、7年間も続けている人間がいる。奇しくも遭難が起こったのはあの日と同じ1月3日、チベットでの出来事である。 1991年、京都大学と中国の合同登山隊が、中国のチベット自治区と雲南省との境にそびえる未踏峰、梅里雪山(6,740m)の初登頂を目指した。しかし、大きな雪崩に巻き込まれ、17人の隊員全員が行方不明となる海外登山史上最悪の遭難となってしまった。ところが、7年後、当時の遺体が奇跡的に氷河上に出現する。温暖化の影響を受けやすいチベットの氷河は予想を上回るスピードで流れ溶け、遺体を上部から運んできたのであった。それからというもの、本書の著者でもある写真家の小林尚礼氏は、友たちの死と向き合い、遺体となった聖山のかけらを拾い集めてきた。 ヒマラヤ山脈の東端にある梅里雪山はカワカブとも呼ばれ、カイラス山などと同じ聖山であり、神の山として多くのチベット人たちの信仰を集めている。それゆえ、その山に登ろうとした登山隊は、チベット人から激しく憎悪され、遭難は当然の結果とされた。しかも、遺体が出現した氷河は彼らの村の水源にもあたり、神を冒涜したものたちの遺体は不浄のものとされ、なかなか村の協力を得られず収容活動は困難を極めた。 しかし、小林氏の熱心で誠実な人柄は、次第に村人たちの理解を集め、7年をかけて16人の遺体を収容するにいたる。 本書は、遺体の捜索という現実のなか、山を信仰する素朴な人々の暮らしに触れ、『聖山とはなにか』という答えを見つけようとする著者の巡礼行である。 緑あふれる森に抱かれた山は、人々に自然の恵みをもたらし、白く輝く氷河は、命の雫を与える。これまで登山の対象としてしか見ていなかった山の本当の姿が見えてくるようになって、多くの命を奪った山に救われていく。 「遭難から長い年月がたって、山がようやく私たちに微笑んでいるようだった。そんな「聖山のかけら」を集めるうちに、カワカブによって傷つけられたものが、カワカブによって癒されていったように思う。そのかけらをつなぎ合わせることで、ひとつの答えが見えてきた。聖山とは、生命の源である。(中略)カワカブの風景は教えている。人間の生きる背後に、大いなる自然が存在することを。その風景は、見る者自身の暮らしのなかでカワカブに相当するものはなにか、私たちにとっての生命の源とはなにかを問いかけてくる」 山岳遭難を通してみた人間の生と死、チベットの聖山を敬い、山麓で自然の営みを続ける人々の生と死……。著者の眼前には美しい山の暮らしと、バラバラになった人骨片が交錯する。本書にはそんな人間のリアルな営みが濃密に描かれている。(タキザー) |
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